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寅 その3 弓と恒常性。

寅造形とは直接関係はないが、矢(寅)とともに、かかせないのが「弓」である。

弓矢の技術と共に、弓のもつ神具としての効果は、特別な発想の源を生み出している。




































弓という神具そのものの造形に少しのラインを加えただけで「引く」と言う造形ができる。

我が国では、甲骨文字創成から3400年経ても尚、「お神籤を引く」という誰もが知る言い方がある。

かんながらの世界は、文字の根源と通じることが多い。

原初の文字のチカラが内在した言葉である。





































 弓にをつがえずに弦を引き、音を鳴らすことにより祓う清める鳴弦の儀(めいげんのぎ)は平安時代初期嵯峨天皇の頃から正月行事として伝えられている。神道儀礼ではしばしばを使用した日本儀礼のひとつ弦打の儀(つるうちのぎ)とも呼ばれる。

 現代では流鏑馬も観光の名物となっている。ほんらい神事には観光や見世物ではない。相撲もビジネスや既得権益の権威づけではなく、ましてやスポンサーのものではなかった。神事においての客は神々である。客人(まろうど)を迎え入れる。その肝心なところをメディアも端折る。結局、勝ち負けと点数が凡てならば、分断と数字だけが残る。ほかには何ものこらない。核心がブレまくりのである。


神職としてご奉仕していた時の話。祭の前後の朝夕に神輿に御霊をうつすとき、それは外のどんちゃん騒ぎの喧噪から隠された場所、御宮の中で齋行される。幕で覆い普段以上に内部は見えなくなっている。一般人はもちろん見ることはできない。メデイアなどにも一切はいれない。みせることのない秘匿の祭祀である。神職として大きな祭に奉仕したとき私は痛烈に感じた。これは見世物ではないのだ。

 外がうるさい。しかし祭の中核はここにある。このどんちゃん騒ぎの群れに少しでも畏怖の念はあるのか?と。せめて海外から来るヒトが増え、神道を知らないかたもあるだろうから、日本の大地に生まれおちたその誇りを胸に、「祭」とは何か。考えてほしいものだ。そう、感じることはあるだろう。

 

「射」の造形は作品としても好まれる人気のある造形である。


射…初形は弓+矢+又(手)。矢で射る姿を表現した造形。弓に矢をつがえ射る瞬間の造形。のち弓矢の形を身と誤り、金文に射の形に近いものができた。射は重要な儀礼、修祓の儀礼として、現代の神道行事にも受け継がれていてその面影を残す。





矢は現代においても、邪気を祓う神聖な神具として見立て、お宮では破魔矢などが授与される。七五三の祭祀をお下がりに矢を配りお分けすることもある。幼児から成長してゆく過程での節目節目での祝い事は人生の通過儀礼として大切な意味をもっている。


十二支の流れを見ると寅(矢)の次は、卯で、分け合うこと。辰で石を加工して道具を造ること。

最期に巳(子ども)へ向かうプロセスの発想がこめられていた。


放ったものは回収しなければいけない。遠くへ遠くへ飛ばせる弓矢で射得た獲物は神饌であり次の「卯」祭祀へと繋がっていく。決して飛ばして放って終わりではない。人類は、その行為や道具、その得た知恵は、循環するということである。





神道の年に一度のお炊き上げは、前年の授与品を回収して、新しい一年を新調する。そもそもは燃やせないものなど授与しないのだ(※神社仏閣にもさまざまな御宮があり、金儲けに特化した観光地特有の御守りは要注意)

原発の処理水や、最終処分場の問題は私の中での神道的価値観では論外である。虚飾で彩られた妄想の科学が限界を迎えて、2011年03月11日から十年以上経過してもなお、原発処理能力はない。西洋科学の傲慢をそのまま過信して、とりあえず虚像の紙幣で目先を潤わせて、未来への価値を下げつづけている。原発放置が未来に何をもたらすのか?小学生がわかる話を、あと少しで死ぬだけの醜い老人が死守している。

 「大祓詞」は大海原へ穢れや罪を流すが、なにも罪を薄めろとは言っていない。東電やら顔の見えない既得権益と、結びつく政治家は「大祓詞」すら知らないのか。もしくは真意を読み取る能力がないのだろう。後の列島の犯罪人として名指しされ子孫はすべて滅亡する。令和以後の子ども達が動くだろう。もしくは愚かなままに地球全体で人類が消えるか。少子化の理由は未来がないからである。大地震國にして崩壊の種を抱え込み、未来へ負債をあとまわしにして罪を積み上げる。この絶望は個人的な痛みではない。凡ての人類の泪を汚しているのであう。


歴史に学ぶべき点は多い。楽しく物語としても学ぶことができる。

曹操は大きな過ちを犯した。いや、諸葛亮孔明が、してやったりと、いったほうが良いのかもしれない

 

矢の特性の熟知、

小説『三国志演義』に登場する、諸葛亮孔明の「矢」のエピソードも有名です。

三国志演義では、曹操軍80万に対し、孫権・劉備連合軍12,3万と誇張した兵力で書かれています。正史三国志(忠実とされている?)では、曹操軍24万、孫権・劉備軍5万と記されており、どちらにせよ兵力差は4倍以上はあったと推測されますね。このとてつもない兵力の差を、どのように乗り越えていくのでしょうか。

【曹操軍の圧倒的な軍事力】対【孫劉軍の頭脳、周瑜と諸葛孔明の戦略】

普通に考えても、この差を埋めるのは厳しい状況ですよね。

西暦208年、曹操と孫権・劉備連合軍の戦い。 天下統一を目指して南下した曹操軍を、孫権・劉備連合軍が迎え撃ち、黄河中流の水軍戦で、孫権の奇策が成功して連合軍の勝利となった。 その結果、天下三分の形勢が固定化され、魏・呉・蜀三国分立に向かう。


開戦直前、周瑜は曹操の大軍と戦うために10万本の矢が必要だと、諸葛亮孔明に要求します。しかしこれはどう考えても無茶な要望で、周瑜は軍師として名高い孔明のの腕を試そうとしていたのです。もしも彼が失敗すればその名声は地に堕ち、成功すれば後々は警戒するべき相手になるということでしょう。周瑜は孔明に、「10日以内」と期限を切りましたが、孔明は「3日で十分」と回答。その代わり、船と少数の兵、藁人形を求めます。しかし、1日経っても2日経っても、孔明は動きません。期限である3日目にようやく船を出しました。向かった先は、曹操軍の目と鼻の先。川には霧が発生していて、敵が攻めてきたと勘違いした曹操軍は一斉に矢を放ってきました。用意した藁人形や船に刺さり、孔明は難なく10万本をはるかに上回る数の矢を手に入れることに成功したのです。



















弓関連文字として

最期に「恒」の文字に触れたい。

甲骨には、いくつかの王●という固有の王が登場するが、その中に王恒という名の王がいる。


 身体は環境に適応する。体液には組織の代謝を媒介する血液、細菌や老廃物を除くリンパなどがあります。 ヒトの身体にある約60兆個の細胞活動を支える、体液の恒常性が保たれてこそ、生体の各組織の恒常性も保たれるのです。「自律神経」「内分泌」「免疫」のバランスは、ホメオスタシスの三大システムといわれ、このバランスを維持する。恒常性は生物のもつ重要な性質のひとつで生体の内部や外部の環境因子の変化にかかわらず生体の状態が一定に保たれるという性質、あるいはその状態を指す。 生物が生物である要件のひとつであるほか、健康を定義する重要な要素でもある。

 

この生体における恒常性の「恒」文字は、弓張の造形のなかに弓月がある。究極のバランスを表現している。


例えば、弦を張る楽器。

東洋では、お琴や琵琶、三味線

なども同じである。

ギターも弓矢から発想された。





個人的に20年移譲愛用しているAcousticGuitarは、Tailorで、本当に賢い。頑丈であること、とりあえずポロンと弾いてみて「ん?」と違和感があれば、必ずチューニングをする。このチューニングは、必ず行う準備だ。

 

30恒 音 コウ 訓 つね

弓張り月(弦月)~上下二本の横線の間に弦月の形を加えた造形。〔詩、小雅、天保〕に「月の恆

(ゆみは)るが如し」とある。〔説文〕十三下に「常なり」とあり、恒久・恒常をいう。周代には借

りて平常心の意味で用いられたため金文で心を加えた繁文。恒となる弓を省いた異体が後代に

継承され、更に篆刻で月が舟に。隷書で舟が簡略化された。

1神名5例  ①合14762貞侑于 王恒  ②合14766反 ③合14767正 于王恒 

④合14768王恒に侑せんか ⑤合14769欠片 王恒

2人名①合22086亜恒(神葬祭事従事者か)  ②合14749正 欠片


弓矢の技術。神事。循環する神具。

そしてバランスの重要性が、「寅」の時をより豐にするだろう。










 













































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