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01ね考1 可能性Xの誕生。時の發想の根源。
















2024年3月1日は甲子の日。年は甲辰。日は「きのえね」の日である。

西暦2032年は壬子となる。

十二支のはじまりは、現代の漢字表記では「子年(ねどし)」として通用している。しかし甲骨文字では6番目の巳年(みどし)に「子」の造形があてられている。よって本来は6番目「巳年」が「子」であった。ならば最初の「ねどし」は漢字「子」ではない別の文字である。十二支の一番目の甲骨文字は現代の漢字にはならなかった。原初の發想である本来の十二支の造形は、現代の漢字に正しく継承されなかった。

 まとめると、6番目も巳年は「子」年であり、1番目は現代の漢字にない造形文字「ね」なのである。

よって原初の真実のかたちを探求する上で、混同を避けるために1番目は「ね」とひらがな表記する。












それでは、この最初の「ね」造形は一体なんなんだ?漢字に変換することができなかった文字である。

「ね」造形の文字変遷を調べるとその流れは、途中で断絶していて、継承が困難であったことがわかる。


甲骨文字の初期造形はシンプルだが、後期造形から金文に移行する中で、

《X》バツ印が継承されつつも消滅し、説文篆文で「子ども」造形の変形型が作られる。

その後、漢字造形には継承されず「十二支」は動物に例えられる。

動物十二支の例えにより、本来の巳年が「子」であることが忘れ去られ、

ね年が「子」になってしまった。


『ね』文字変遷(むらかみすいぶん文字変遷テキスト資料より)



甲骨文字の初期から後期五期に至るまでにも多種多様な造形で刻まれている。

「ね」造形を並べると、その異体字の多さに驚愕する。

甲骨文字の段階ですでに、文字造形が定まっていないことがわかる。




甲骨→金文

金文に鋳込まれた造形もまた特殊なカタチとなっている。

初期の西周金文は、干支として「甲子(きのえね)」確認ができる。

↓(参考:金文用例。『十二支の發想』p16)



漢字にできない文字となってしまった理由のひとつには

文字が生まれた最初の時点から、すでに多種多様な異体が多く、

明確に文字造形として隷定するのがもはや困難であったこと。


更に初期西周金文(利簋) に至っても、甲骨文字造形とは少し異なる独特の造形「子」が新たに生み出されて鋳込まれた。なぜこんなにも様々なカタチがあるのか。


 「ね」造形は、十二支の暦として日付(時)を表現する語として刻まれているのだが、多種多様な異体が多く、造形が安定しない。意味は暦を表すので同じなのに同じ造形はない。きわめて特殊なのである。


 全体を丹念に見渡しても、甲骨文字造形4500~5000文字の中でもかなり珍しい『甲骨造形』なのである。諸説有るが古代のはやい段階で、すでに、「ね」造形の真意が失われていたともいわれている。殷代の人々、甲骨文字を刻んだその人たちですら「ね」造形の確定したカタチを知らなかった。


 ※初期西周金文(利簋)の内容は司馬遷「史記」の殷周革命の基になった内容だが、酒池肉林などの小説は真実ではない誇張した物語となっている。殷王朝の文字を西周王朝がプロパガンダ的に政治利用した記念碑(西周王朝にとっての)でもある。本来の最初期の文字創成時の発想は、自然と共存するためにいのる。その純粋な「禱(いの)り」の原姿をもって、祭祀と共に刻まれたが、時代を経て、西周→春秋→戦国→秦→漢の流れのなかで、文字は政治的、権威的な記号と化して、時の権力者の都合に合わせて活用されてしまう。金文「利簋」における文はその典型である。そして、十二支をはじめに刻んだその純粋な発想は完全に忘れ去られてしまったようだ。<文献資料VS考古初期発想>




 春秋戦国時代の考古学資料である睡虎地「日書」(推定217年)に日付を動物にあてた現代の十二支どうぶつに通じる記述(日記)が遺されている。よって戦国期には最初の「十二支」のほんとうの発想の根源を知る者はいなかったのだろう。はじまりの造形「ね」は漢字に継承されることがなく「子年(ねどし)」と書いて「ねずみ」をあてて、なんとか説明できるようにしたのだ。時間的にいえば、春秋戦国時代の戦国期は甲骨文字が刻まれてから1000年以上が経過している。千年前の真実を正確に知ることは困難である。


 その後も漢代に入り紀元100年に許慎(きょしん)が十二支を「艸木の生長」として解釈(説文解字)するが、当時の戦国期の陰陽五行思想の流れを経て、その中で許慎が漢時代の思想も踏まえて、独自に再考したものである。甲骨文字の最初期の發想ではない。今では十二支の真実ではないので俗説と言われている。

 長い年月が流れ西暦1899年から大陸は今の河南省安陽にて甲骨文字発掘が本格化した。その後、甲骨文字学に多大な功績を残した詩人:郭沫若(1892-1978)は、西洋文明に感化されつつバビロニアの黄道12宮と掛け合わせて干支の解明を試みた。東西の占星術を混ぜたような視点は一部興味深くあるが、その勇気ある挑戦は評価に値するものも、その説は「巳年」の子造形を双子座にあてて解釈するという無理がある内容で、結局、十二支の最初の全体像はいまだ解明されていないままである。

 ※ 参照2024年2月の水分過去ブログ→「巳年は子年 その1~3」



十二支のはじまりはなぜこんなにも現代人の理解を超えた造形なのか。3400年前の「ね」は、どのような意図で描かれたのか。確定した造形のない文字。3400年前の人もわからないかもしれない。答えのない世界に多種多様なカタチで生まれ落ちた。それが「ね」造形である。

 これだけ謎めいた多種多様造形に包まれると「宇宙」の赤子にも見えてくる。まさかの宇宙人か。なにか地球外生命体が舞い降りて、我々ホモサピエンスの祖先に文字造形を与え、最初のカタチだけを地上に降ろしたのか?って。そんな摩訶不思議なことがあるだろうか。


ね 十干十二支用例(甲骨文字の暦)


 調べれば調べるほど、トレースを重ねれば重ねるたびに謎が深まっていく。

 そこで十二支の全体をとらえるために、ほかの十二支造形をみていこう。すると「ね年」以外の他の干支は基本となるカタチがほぼ決まっている。まったく変化のない文字もある。変遷の中で多少の造形変化はあるが、初期と後期には確定した造形を引き出すことが可能である。

それに対して「ね」を意味する刻まれた造形は、ひとつひとつが同じ造形はほぼない、それぞれが多様性に富んでいる。何故「ね」だけが確定したカタチをもたないのか。



 十二支の最初は、時を刻む「時間のはじまり」でもある。「ね」造形は大事なスタートでもある。しかしそのはじまりの造形「ね」が確定しない。十二支の時の発想の根源はいまだ解明されていないのだ。

 時間のはじまり。それはまるで宇宙のはじまりのようだ。生まれたばかり、生命の誕生を表現するのであれば、どう表象したらいいだろうか。その原初は無限の可能性があり、最初の生命の誕生は神秘に満ちあふれていたのだろう。われわれにとって、はじまりとはなにか。

 ホモサピエンスは淘汰された結果だともいわれている。地球上の人類は現在、ホモサピエンス1種しかおらず、原人や旧人がいた時代に比べれて人類の多様性は失われた。人種や進化という概念も、もはや現代においては死語であろう。「参照:海部陽介博士:人間らしさとはなにか。」

 はじまりの「ね」は漢字にすることができなかった。この不確実で曖昧な「はじまり」は言語化できない。

 西暦は2000年を超え原初十二支発想は紀元前1300年である。現代人である我々の世界では今、そのカタチを限定できないもの。言語化することができないものが存在するという事実を、そのまま素直に受け入れることができるだろうか。わたしたち人類の出発にはまだ大きな謎がある。そのはじまりもわからない。そして終わりも何処へいくのがわからないのである。



 学術的には、亡くした失われた文字を亡失文字と名付ける。イレギュラーな造形を異体字という。その中でもこの文字「ね」は最たるもの。その中に収まらないかもしれない。わからないのである。

 ただ確かなこともある。十二支は循環する。時を刻み、円を描き、繰り返し繰り返しらせん状のサークルは続いてゆく。この発想は地球史における人類の数百万年の歴史から見れば、ごく短い一瞬の出来事かもしれないが、暦の観念として3400年以上続いていることは明らかだ。

 はじまりは多様であり、誕生したばかりの生命、時間、そして人間の誕生:赤子は可能性に満ちている。あえて言語化しなければならないのであれば、可能性無限大の「ね」を、わたしは可能性エックス「可能性X(ね)」と名付けてみよう。原初の造形発想を確かめるには、全体を細部まで分類して、また全体像を俯瞰してみなければわからない。十二の造形は、円(Circle)の循環の中で常に流れている。凡てが互いに影響し合い、共鳴し、その混ざり合う中での関係性も求めなければならない。時の発想の大海原を泳いでいく。


十二支Circle 外円が甲骨文字初期造形。内円は比較的に現代漢字に近い後期の造形を配した。


可能性しかない「X」の正体を、可能な限り突き止めるには

同時代の、甲骨文字における類似造形を集めて考察することも重要である。

そこには現代漢字にはない造形や、現代の常識や、過去の凡例の理解では紐解けない発想もあるのだろう、

類似造形として「凡(ハン・すべて)」関連造形と、「舟」関連造形を、

「可能性X(ね)」と関連づけて考察する。



西暦2032年は壬子(みずのえね)年。。。つづく。


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