12亥考3 天翔る最期の王亥2
鳥は恐竜。そして鳥は死者の霊魂を運ぶ者であった。
[亥]造形の要素をもつ重要文字「王亥(おうがい)」は、隹(とり)と共に刻まれていた。
列島の古代の「鳥」の發想はいかなるものであったか。遺された考古学的資料は何を意味するのか。
古く人類は後氷期の狩猟採集民も信仰を持っていたとされている。古代から鳥は死者の霊魂を運ぶものとして考えられていた。しかし縄文時代には具体的な鳥関連の遺物は非常に少なく、弥生時代になって、その遺構から多く出土する。その造形をTraceする。
弥生中期の土器に画かれた鳥に扮した姿はとても興味深い。
両手を掲げるその姿は「承諾」をもとめる甲骨文字「若」の文字発想と同じ。
祭祀儀礼において、目には見えない世界と共振し、承諾を求める仕草ではないか。
大陸、東南亜細亜、半島から伝来する農耕とともに「銅鐸」に鋳込まれた鳥の造形は、
水田に集う鳥たち。祈りをする祭祀の傍には、鳥たちも集ったであろう。
生きるための穀物豊穣の祈りは、鳥たちとともにあった。
水田の近くへ訪れ、春に飛来し魚や水生生物を捕食し、秋のおとづれと共に去るサギ。
晩秋に飛来して田圃の落穂を食べ春とともに旅立つツル。
穀物の守り神として、白く美しい羽が水面を揺らす。古代の風景が目に飛び込んでくる。
この豊かな古代風景の主役のモチーフが「隹」である。
<隹と葬祭>
6世紀になると円墳から多くの鳥の埴輪が出土する。亡くした者と共に飛び立つ鳥は、死のその先へ旅立つための神聖な観念としても画かれるようになる。古事記や日本書紀には多くの鳥の説話が物語られる。英雄ヤマトタケルは死後、白鳥となって飛び立ったという伝承は有名である。またアメノワカヒコの葬送には、さまざまな鳥が登場し、葬儀で諸役を務めた。鳥たちが祭祀の重要な役割を担う物語なのである。
水鳥を模した鳥形埴輪(兵庫県朝来市・池田古墳〈5世紀前半〉出土など)も同様に、亡くなった人の魂を死者の世界に運ぶものとして埋葬されたのだろう。珍敷塚古墳(福岡県、6世紀後半)の壁画に描かれた船には舳先に鳥がいる。鳥が先導役となり、船で被葬者の魂をあの世へと連れてゆく図とされている。
『古事記』には「天鳥船」という神(鳥之石楠船神の別名)が登場する。死者の霊魂をこの世からあちら側の世界へ運ぶ船は、鳥が船頭の役目となる。古代神話における神武東征の故事では、烏(カラス)が神武天皇を導き、熊野神社の神の使いとして、その後も中世武士の時代にまた畏敬を集めた。現代でも古来の説話にある藤原成通などの蹴鞠の名人が熊野に詣でて蹴鞠を嗜んだこと等から、八咫烏が日本サッカー協会のシンボルとなる。
白鳥の骨。
また、佐倉市白銀の高岡新山遺跡から出土した骨壺(8世紀後半)からは、壮年の男性とみられる人骨と一緒に白鳥の翼の骨が見つかった(読売新聞2011年2月22日朝刊)白鳥とともに埋葬された珍しいケースである。死後、無事に「あちらの世界へ」飛び立てるように、白鳥の翼とともに埋葬されたのであろう。
<万葉集鳥にうたわれる隹>
鳥への信仰は死者を手厚く葬っていたあらわれでもある。東アジアの諸地域では古来より鳥は魂の運ぶとされた。人の霊魂は鳥によってもたらされ、また鳥になって去る。水辺に飛来する渡り鳥を見立てては遠く霊界へ去った死者たちの魂が、時を定めて帰ってくるものと、うたい願ったのである。
鳥垣立飼之鴈乃児栖立去者檀岡尒飛反来年
(万葉集2-182)
鳥座立て 飼ひし雁の子 巣立ちなば 真弓の丘に 飛び帰り来ね
鳥くら立て 飼ひしかりの兒 巣立ちなば 真弓の岡に 飛び帰り来ね
『万葉集』にある日並皇子(草壁皇子)に献じられた歌には、
鳥に託して死者の魂を呼び戻そうという招魂の意が込められた。
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの 逢(あ)ふこともがな
わたしが死んであの世に行ってしまってからの思い出のために、もう一度お会いしたいのです。
小倉百人一首(和泉式部の歌)自らが死者として赴く場所は「あの世」という異空間であるということ。
世の中を 憂しとやさしと 思へども
飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば
山上憶良『貧窮問答歌』 短歌(反歌)(『万葉集』巻5・893)。
「世の中はつらいもの、恥ずかしいものと思うけれども、飛び立つことができない。(人は)鳥ではないのだから」と、鳥のように自由に飛べない人間は、煩悩に満ちたこの世から逃れることができないと詠う。
『拾遺集』渡り鳥であるホトトギスや雁は、この世とあの世を行き来する。
夏鳥として和歌に詠まれるホトトギスだが、異界(あの世)からやってくる鳥とも考えられた。
なき人の 宿戸に通はば ほととぎす かけて音にのみ 鳴くと告げなむ(『古今集』巻16・855)
死出の山 越えて来つらん ほととぎす 恋しき人の 上語らなん(『拾遺集』巻20・1307)
『拾遺集』の歌は、宇多天皇に愛された歌人伊勢が幼い皇子を亡くした翌年に詠んだもので、皇子の死後の消息をほととぎすに問いかける。ほととぎすは、山中の他界である「死出の山」を越えてやってくると考えられていた。
<『源氏物語』の冒頭と、羽のある装束>
多くの古代の詩は、その歌を詠むことでその時代の「生きた風景」を遺してくた。その「いのり」に触れて後の世の我々も想いを寄せる。例えば書を歴史ある文化としてつないだ詩の名品のひとつに王羲之「蘭亭序」があるが、この未来へ思いを馳せる書埶の本来の試みは、現代の書家には皆無であろう。小手先の表面なスタイルが書埶であるならば、なんとも空しいものだ。後の世に訴えかけるべき、まさしく「うた」が古代から連綿と我々に語り続けている。
たづねゆく まぼろしもがな つてにても 魂のありかを そこと知るべく
死者は、別の世界にいる。その隔たりを超えて追想するうたがある。
『源氏物語』冒頭では、寵愛(ちょうあい)した桐壷の更衣に先立たれた帝が歌を詠む。
歌のなかの「まぼろし」は「幻術士」は白居易の『長恨歌』「道士」ともされ、あの世とこの世を往来するという。死者を尋ねるシャーマンは、神職と同じく媒介者であり、あの世とこの世の隔たりを仲介する。
その姿を、鳥の翼をもった人として画いたのではないだろうか。私は大きな祭で、重厚な装束を身にするときにふとおもう。。。「この飾りはなに?」「何のためのヒラヒラ?」などなど、細かく挙げると切りが無いくらいに、実用性なく合理的でもない特殊な装飾がある。それは時に羽であり衣として別の世界へ向かうための空間スーツなのである。そこには自然と共感し、他の生命とも共鳴する「いのり」が込められていた。
そして神々との仲介、死者の世界との媒介のために鳥になった。
<鳥に変身する話 死と再生の第一歩>
ケルトの妖精たちは鳥に変身することができた。そのために彼らは天使のような翼のある身体が描かれ、また魔女たち「魔女の集会」へ飛んで行く。北欧の女神プレイアは、鳥の羽を着て空を飛ぶことができる魔法の衣を持っていた。などなど。忘我の状態となりいのるということ。死と再生の境界へ踏み入った状態は特殊な身体の状態となる。世界中のあらゆるところに説話や神話がのこり、彼ら呪術師たちや予言者たちは鳥に変身することもできた。ヨーガの行者たちは、夢幻の境を飛ぶことができる。という。
そして最期に数少ない縄文における「隹観念」をみてみよう。
縄文の藤内遺跡出土に上部の穴あき土偶がある。
井戸尻考古館展示では羽飾りをつけて、
古代のイメージを復元した。
同じように、東北でみた「縄文の女神」の頭部は、
頭にあからさまに穴があいている。
下部は平らなので、吊す物ではない。
そうなると何かを刺す、
羽を刺すのは自然である。
羽を刺した土偶。
それは「未知なるまた別の世界へ」飛び立つのである。
まるで荘子『胡蝶の夢』、それはカフカ「変身」や中島敦「山月記」など、鳥ではなくても蝶蝶や虫や虎、いきとしいけるすべてのものに変身してしまう。。。自分が自分ではないものへなる。それは自己同一性を破壊し、あたらたな再生へと踏み出す創造であった。
歳時記は4月5日より「清明」の初候・「玄鳥(げんちょういたる)」。玄鳥とはツバメの別名。陽気も暖かくなり、南の台湾やフィリピン、マレー半島、インドネシアで越冬していたツバメが、再び飛来する、と言う意味である。ツバメは典型的な渡り鳥で一年の半分近くは日本にいないが、甲骨文字には正面系の燕は吉祥語として刻まれている。
中国古代の文献では鳥の足跡を見て文字を生んだとされるそうけつや、鳥の卵から生まれた説話、混沌という怪物の絵には翼が生えている。などなど、挙げればキリがない。空を天翔るいきものは人々の想像力も力強くかき立てる。
埋葬された隹とって付きの器(列島の古墳時代6,7世紀) 中国の伝説上の怪物:混沌
十二支の「亥」にまつわる「隹」の世界はあまりに深くてひろい。
古代の發想において「隹」は生と死のあいだにあるもの。その見立ては十二支の最期の循環とも共鳴する。
12番目「亥」の「王亥」造形は、次のまだ見ぬ時間へと飛び立つ意も込められている。
隹にとりこまれる「亥」の「王亥」は、最期の世界への通路から旅立つ。
次は「亥」要素をもつ重要造形「賓」(おもてなし)祭祀にせまる。つづく…
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