
086 We can work it out15-2(立)×KoToDaMa
きみはいつだって 悪い方に考えるけど、、、 なんとかやってける 大丈夫! ここに 立っているから <【立】×古代文字> 【立】[音]リツ・リュウ[訓]たつ・のぞむ・つくる・たてる [会意]大+一。大は人の立つ正面形。一はその立つところの位置を示す

085 Day tripper 15-1(旅)×KoToDaMa
旅はいいもんだ いまごろ、、、 日帰り? 彼女は誰をつれて 旅をしてる? <【旅】×古代文字> 【旅】[音]リョ [訓]たび・つらなる [会意]旗(えん)+从(じゆう)。左側は旗。从は從(従)の初文で、前後相従う人。氏族旗を奉じて、一団の人が進む意で、その軍団をいい、また遠行することをいう。

084 DIZZY MISS LIZZY 5-14(眩)×KoToDaMa
眩暈くらくら そのちっちゃな手 振ったり 揺すったり 老いぼれる前に

083 Yesterday 5-13(昨日)×KoToDaMa
ああ凡ては突然、昨日となってしまう。 いまはただあの日々が恋しい ああゲームじゃなかった 人生は夢じゃない ぼくはあの日を信じたい。 <【昨日】×古代文字> [音]サク [訓]きのう
[形声]声符は乍(さく)。〔説文〕七上に「■(かさ)ねたる日なり」(段注本)とあって、昨日をいう。古くは徂・宿・昔・夕と声近く、通用することのある字であった。
[訓義]
1.きのう、ゆうべ、昨夕。
2.さき、さきに、むかし、宿昔。
3.酢・■と通じ、むくいる。 [形声]声符は乍(さく)。乍は作の初文。〔説文〕は作興の意とする。乍は木の枝を強く撓める形で、垣などを作る意。卜辞に「傭を乍(つく)る」「邑を乍る」のように、大きな土木工事をする意に用いる。金文に至っても「寶尊彝(はうそんい)を乍る」のように用い、また「乍邑」「乍邦」の語がある。また「乍鑄」「乍爲」より「厥(そ)の爪牙と乍(な)る」のようにひろく一般の制作・行為をいい、まだ作の字はみえない。〔周礼、秋官、柞氏〕は、柞薪を以て獣の陥穽を作ることを掌り、その井中(せいちゆう)の逆木(さかぎ)を柞鄂(さく

082 I've just seen a face 5-12(顔)×KoToDaMa
君の顔が好きだ あの瞬間 夢の人 他の日じゃない あの日あの時 あの場所で 君の顔 よそ見しないで 落ちてゆく 何度も何度も呼び返す <【顔】×古代文字> 【顔】 (顏)[音]ガン [訓]ひたい・かお [形声]声符は彦(げん)。厂(かん)(額の■形)に加入の儀礼を示す文身(文)を加え、彡(さん)はその美彩あるをいう。頁(けつ)は儀礼のときの儀容。したがって顏とは、儀礼のとき加入儀礼を示す文身を加えた顔容をいう。顔面の面は、目だけを残して他を覆うもので、ペルソナの意。〔左伝、荘五年、正義に引く世族譜〕にみえる■顔(ちゅがん)、字は夷父。夷俗は断髪文身、ゆえに顏・夷を名字対待の義に用いるが、古くは中国にも文身の俗があった。 →彡・頁・彦

081 Tell me what you see 5-11(瞻)×KoToDaMa
何が見える? きみの一日が輝きで始まるように 見てごらん こころの 眼を開いて <【瞻】×古代文字> 【瞻】[音]セン [訓]みる [形声]声符は■(せん)。〔説文〕四上に「臨み■るなり」とあり、瞻仰・瞻望など、遠く遥かに望み、また見めぐらす意がある。〔詩、衛風、淇奥〕「彼の淇奧(きゐく)を瞻るに ■竹猗猗(いい)たり」と青く茂る竹を視るという祝頌の発想は、〔万葉〕の「~見る」「見れど■かぬ」という魂振りの発想と同質のものである。〔詩〕では「瞻彼~」という定型の発想をとる。

080 You like me too much 5-10(過分・余り)×KoToDaMa
どうしようもなく 僕のことが好きだって トゥーマッチペイン だから今回のことは 僕が悪かった。認めるよ 君をはなさない 君は僕を好きでいてくれんだから。 <【過分・余り】×古代文字> 【過】[音]カ(クヮ) [訓]すぎる・よぎる・あやまち [形声]声符は咼(か)。〔説文〕二下に「度(わた)るなり」と度越・通過の意とする。咼は残骨の上半に、祝詞を収める器(口(さい))の形を加え、呪詛を加える呪儀。特定の要所を通過するとき、そのような祓いの儀礼をしたのであろう。 【余】[音]ヨ [訓]われ・あまり [仮借]余は把手(とつて)のある細い手術刀。これで膿漿を盤(舟)に除き取るを(よ)といい、兪(ゆ)の初文とみられる。余は〔説文〕二上に「語の舒(ゆる)やかなるなり」とするが、静かに刀を動かすを徐という。卜文に王子中の一人に舟余・余というものがあり、また我というものもあって、余・我はもと身分称号的な語であったらしいが、金文では余は一人称主語に、朕は所有格的に用いることが多い。〔左伝、僖九年〕「小白(斉の桓公の名)余」のように、その名にそえて、複称的にいうこと

079 It's only love 5-9(希)×KoToDaMa
愛だろ 愛 たかがされど、 それは希なもの うまく言えないから 見つめあうとおしゃべりできない 愛だろ 希望は それだけなのに 愛することはつらい <【希】×古代文字> [字音]キ・ケ・チ [字訓]まれ・ねがう
[象形]すかし織りの布。上部の爻(こう)はその文様を示す。〔説文〕に希字を収めない。〔論語、先進〕「瑟を鼓すること希(まれ)なり」、〔論語、公冶長〕「怨み是(ここ)を用(もつ)て希なり」など、稀の意に用いる。〔爾雅、釈詁〕に「罕なり」とみえる。稀と通用し、希望の意は覬・冀・幾との通用義。〔周礼、春官、司服〕「■稷五祀を祭るときは、則ち希冕(ちべん)す」とあって■(ち)の初文とみられ、希とはあらい麻織の織目の形を示す字であろう。→糸希

078 Act naturally 5-8(俳優)×KoToDaMa
わざおぎ 孤独で寂しい男の映画だ スター 神の所作は自然なもの 神の仕草を遊び見立て 自然に演じれるのさ。 <【優】×古代文字> [音]ユウ(イウ)・ウ [訓]わざおぎ・やさしい・まさる・すぐれる・ゆたか [形声]声符は憂(ゆう)。憂は喪に服して愁える人の形。未亡人のときには寡という。喪に服してかなしむ人の姿を優といい、またその所作をまねするものを優という。〔説文〕八上に「饒(おほ)きなり。一に曰く、倡(うた)ふものなり」とするが、もとは所作事を主とするものであった。 人に代わって、神に対して憂え申す所作を演じたのであろう。のち山水の間に游んで神を慰め楽しませることを優游といった。〔詩、大雅、巻阿〕は山水の間に遊ぶ詩で、「爾(なんぢ)の游を■奐(ばんくわん)にし 爾の休(慶)を優游にせよ」のように用いる。游も神とともに遊ぶ意である。神事的な遊楽が、のち娯楽のためのこととなり、調戯のこととなって、〔左伝、襄六年〕「少(わか)くして相ひ狎れ、長じて相ひ優(たはむ)る」とは戯れ合う意。もとは俳優の俳が調戯、優は憂愁の姿態をなす者であったが、その初義は早

077 Ticket to ride 5-7 (乗)×KoToDaMa
乗車券を手に入れて、 遠くへいってしまうんだね。 平気な顔をして、、、 さよならを言いだす前に もうすこし話ができたら さびしくなるだろう 夢中になった 木々の上に登って <【乗】(乘)×古代文字> [字音]ジョウ [字訓]のる・つけこむ [会意]旧字は乘に作り、禾(か)の上に人が二人登っている形。木に登ることをいう。卜文・金文の字形は、禾ではなく、枝の上竦する高い木である乘は一人が木に登って遠く望見することをいう。卜辞に「望乘(ぼうじょう)」という族名があり、おそらく斥候を職とする者の氏姓であろう。すべて他の勢いをかりて行動することを、「乗ずる」という。