top of page

酉年4 飲みの作法。舌の所作。

3400年前の自然現象への驚き、畏怖の念から発動する祭祀は、いのりとして実践され、文字として刻まれた。

そして現代、物語(自然現象の経過)として読むことができる。二頭の龍が黄河(洹水)という大河を飲み込んだ、と言う表現で、虹への驚きを記しのこしている。合集10405反の甲骨文に刻まれた造形は、祟り、各雲や面母、そして「出虹自北(北より虹が出た)」など、ほかにも重要な発想をもつ文字が多い。


2024年~2025年 甲骨カレンダー甲辰→乙巳 


虹ができるのは、空気中の水滴、まず、水分がなければ生まれない。

河の水を飲み干して水分を含む「二頭龍」に見立てた物語は非科学的で原始的な物語でかたづけられない。

そして太陽の光によって目に見える時間の天候も、この甲骨文には[昃(日+大)]として記されている。


ここでは、その「虹(二頭の龍の造形)」が何をしたのか。文末最期に記された


「飲于河」


その「飲」造形の発想に触れる。



飲…漢字は「今+酉+欠」要素であるが、甲骨は酒樽と、その水や酒を飲む姿。


欠は口を開いて飲む形。酒樽へと舌を伸ばし飲もうとしている「飲」が刻まれた有名な甲骨文では、黄河(洹水)の水を、虹が飲み干すという表現となった。大雨のあとに虹が出る自然現象を、虹が黄河を「飲」するイメージで物語る。この壮大な風景は、甲骨文字では、畏怖の念をもって、祈りとして刻まれている。舌を伸ばした二頭「虹」龍の巨大な怪物が黄河を飲み干す造形は、我が国の神話にある「最古の酒造」と八岐大蛇を思い浮かべてしまう。わが国ではヤマタノオロチの神話に、河の水と、酒の関連が伝えられている。



現存する日本最古の歴史書のひとつ「古事記」には、スサノヲノミコトがヤマタノオロチを退治するために造らせたというお酒が登場する。八塩折之酒(やしおりのさけ)という名前で、日本書紀にも登場するお酒。 八塩折之酒の「八」は「たくさん」という意味で、八百万の神と同じとされるが、数が多いという意味と、甲骨文における「二股」に分けられて彷彿とする造形の別の意味もあるだろうか。「しお」は日本酒でいう熟成したもろみを搾った汁のことで、「おり」は何度も繰り返す意。あわせて「八塩折之酒」とはもろみを造っては絞り、また新しくもろみを造っては絞るということを何度も繰り返して造ったお酒となる。 酒の原料については日本書紀に、衆菓釀 (たくさんの木の実・果物・雑穀を醸造する)という記述があり、米ではないとされている。


「飲」造形の中には十二支「酉」造形と、まったく同じ造形の文字も確認することができる。



「酉」造形であるその酒樽を前にして、

「人」造形を組み合わした文字は多く、漢字に継承された重要な造形もいくつかある。


醜…酒樽(中に小点)+死者の霊魂【蹲踞した鬼】~後代は「醜い」の意味だが、

甲骨文では死者に酒を捧げる儀式、竜などと共に、特別な自然祭祀儀礼として刻まれている。

 



後期には、軍事動詞や人名としても刻まれているが、本来は祭祀名であったようだ(合12878=合集番号が若い) 後代に付加された「醜い(みにくい)」の意味は永い文字変遷の歴史の中でも紐解く必要がある。


酒を前に蹲踞するのは祭祀儀礼の作法である。

その表現はまた「配る」という漢字の原初としても刻まれている。

配…卩(蹲踞の儀礼しぐさ)+酉。神の佑助(お神酒)を分配する儀礼。お神酒はおさがり【下げた供物】を

配ること。直会は「郷」。のちの漢字の己は蹲踞(卩)の造形が変化したもので、酒樽の前に跪坐して配膳に即(つ)く意。また「即」は(食器)の前に人の坐する祭祀儀礼→前回ブログ参照。酉3




●立礼と坐礼。

「醜」「飲」「配」を並べると、漢字では「鬼」「欠」「己」となるが、甲骨文字では「御神酒」と向き合うものの作法が、立礼と坐礼に分かれる。






















































細かく言えば、「飲」造形にイレギュラーな異体字も存在するが、おおまかには

「飲」は立礼。「醜」「配」は坐礼の「卩(蹲踞作法)」造形とみえる。

本来の祭祀は、御宮にての座礼が基本であり、人類が修練して生み出した古代からの「身体の使い方」の儀礼作法である。※正座ではない。しかし現代での外祭や、地面にすわることのできない場所では「立礼」となるケースも多い。さらに我が国の現状は高年齢化で、お歳を召した神職から「坐礼が厳しい、座れない」という声も多く、御宮の中の儀礼にも 胡床(こしょう)。神道で使うイスを使用する事例もある。


イスラムは厳格に規定があるようだが、高齢化の人の祭祀のケースはどうであろうか。

スジュード』は跪いて額を地面に付けながら、二回お辞儀をする。スジュード サフウ(忘却の平伏)、スジュード シュクル(感謝の平伏)とスジュード テラーワ(クルアーンのサジダのマークでの平伏)など、またサジュダとも呼ばれる。立礼の場合は「ルクー」となり、日本の「拝」と同様に、膝頭を掌で包み、地面と平行になるように体を90度折る。但し「拝」のように足は揃えず、足を開いたまま礼拝するという。


東亜細亜の現代の神社神道には厳しい罰則や戒律は、あからさまには見られないが、

すでに漢字の中に、その姿はインプットされている。



「醜」「飲」「配」の甲骨文字にある身体表現の所作が、漢字では「鬼」「欠」「己」となってしまう。

特に配るの「己」は省略もはなはだしい文字変遷をたどってしまったが、

本来、漢字を使う凡ての人がその儀礼に触れているのだ。

身体の儀礼の表現が文字に刻まれている。


その所作と仕草が「酉(御神酒)」と向き合うSAPIENSの好循環を生み出す。



対角Circle考察 →卯年(2023年)ブログ参照。



最期に、身体全体ではないが、われわれには重要な部位がある。

舌は、人の身体の重要な器官である。


「飲」の酒をのみほすその先には、「舌」が見える。













SUIBUN ART AB 「飲と舌」


甲骨文字「舌」造形は、用例も多義であり、

重要な祭祀名としても記録されている。祝詞奏上にも「舌」は動く。

舌をひっこぬく、という表現もある。


仙台の牛タンは旨いが、

tongueは「舌」の意味のほかに「言語」の意味をもつ。

「mother tongue」は、生まれ育った國の詞で「母語」を意味する。


ラテン語の舌は「lingua」で「linguistic studies」は言語研究。

「linguist」は言語学者や、語学堪能者もさすという。


「舌」造形には「口(さい)」がある。






























SuibunArt 「舌の虁~テネリファの海


ときに喋りすぎてしまう。大事なことはほんと、すこしなのに。


We are surrounded by all of these lies

And people who talk too much


You got the kind of look in your eyes

As if no one knows anything but us


 Should this be the last thing I see

I want you to know it’s enough for me

Cause all that you are is all that I’ll ever need


Comments


特集記事
最新記事